<真剣に自分の人生を振り返ってみる>

・このはてなブログを初めてやっと1週間たった。

きっと、あと1週間もやったら習慣化しそうなので少し安心。

 

さて今日は、今までの28年間を少し振り返る夜としようと思って長文を書く決意を今さっきしたところ。

理由はFacebookで僕に火をつけてくれた人がたまたま僕にコメントを残してくれて、僕の最初の頃を思い出したから。

 

・5年くらい前に僕は東京での暮らしに見切りをつけて実家のある長野県に戻ってきた。

東京での暮らしは楽しかったし続けるのもアリだったが、意味もなく戻ってきた。

戻ってきた当初は色々理由をつけて戻ってきた自分を正当化しようとしたりしてたけど、今振り返ると弱さを見せれない自分が半分、まだみちに迷っていたのが半分というところだと思う。

 

さて、長野県に戻ってきたのは良いが、何か大切なことをまだやり残した気がしていた僕は長野県に戻った後も足掻いていたように思う

それははっきりしたものではなく 何かを 見つけるために足掻いていたのだと思う。

そして今ものすごく不安になることもあるし、やってみなきゃわからない!って自分を奮い立たせることもある。

でも、何か は、少しずつ僕の前に見えてきたように最近感じる。

 

・そして、その何かとはきっと仲間なんだと今の僕は思う。そして今日のブログは僕がなぜ 何か とは仲間だと思うようになったのかを書きたいと思う。

 

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相変わらず山が好きな僕

 

子供の頃の僕

僕は長野県の小谷村というところで産まれて高校生までそこで生活をしていた。

幼なじみとは今でも遊ぶし小さい時は毎日のように秘密基地を作ったり焚き火をしたりして遊んでいた。

僕らの遊びは少し変わっていて小学生の時はなぜかスキー場にあるリフトの模型作りを空き缶とかダンボールなどを使って作る遊びにハマっていた。でもほぼ完成することはなかった。

 

ちょっと成長 中学生

保育園からずっと続けていたスキー部を中学1年生でやめ、なぜか友達から誘われた吹奏楽部に入ることになった僕。

ここで、チューバという楽器に出会って音楽の楽しさを知った。

全く楽譜が読めない僕はただただ音楽を楽しみたいという想いで練習ばかりしていた。そのおかげで2年生になる頃には少しずつだが楽譜も運指を描かなくても読めるようになってきた。

 

周りに迷惑をかけまくった高校生

この頃から 何か を考え始める。

この時、何かを感じたのはどうやったら吹奏楽部が強くなって良い演奏ができるのか?という疑問から周りにも頑張ってもらわないといけない。

という答えになっていく。

 

僕は副部長だった。

もちろん今から考えるとその答えは、部員たちと信頼関係をしっかり築き、お互いに良い関係で協力して演奏をよくしていくこと。

でも、高校生の僕は理屈としては知っている気がしても心がついていかず、周りを振り回してしまった。

もちろん悪気があったわけではないし周りにやる気を伝染させる効果はほんの少しだがあったと思う。

でもそれは違う。

そしてもっと効果の高いやり方はできたはずだしやるべきだった

だから、今思うと、僕は周りに助けられていることを理解していない迷惑なやつだったと思う。

 

音楽学校時代

多分この時は自然といろんなことがうまく行っていた時期。

音楽のプロを目指す仲間に囲まれてお互いに切磋琢磨していた。

楽器のことで盛り上がり練習終わりには恋話で盛り上がっていた。

みんなが少なからず音楽へ対して同じベクトルで同じ勢いで向かっていたからだと思う。

 

しかし大変なのが社会に出ると皆、向かう方向も違うしやりたいことへ向ける力も違うということをその後気づく。

 

音楽の道を諦め、長野へ

 

さて、この続きは明日へ